<「奇皇后」 あらすじ 補足 瀋陽王って王様なの?>

高麗王ワン・ユと対立関係にある権力者として描かれている瀋陽王ワン・ゴ。そもそも瀋陽王って「王」なの?どういう立場なの?と思っちゃいませんか。

まずは公式ガイドブックを参照するも、「ワン・ユの叔父。瀋陽地域一帯で力を持ち瀋陽王とも呼ばれる」などという説明があるだけであっさり。ちょっと物足りません。そこで歴史本やwikiなどで瀋陽王について調べてみました。結論からいえば、瀋陽王というのは、実際に存在した地位の名前です。(権力がある人だからと民が勝手に呼んでいた名前というわけではありません)

この頃の高麗王は幼少時を元(モンゴル)の宮殿で暮らし、元の皇族の娘を王妃にめとり、高麗王となるというならわしがありました。そのような事情から、元と高麗の間の瀋陽(旧満州国のあたり)には、高麗人の居住区もあり、重要な地域でした。

さて、「奇皇后」に出てくる高麗王ワン・ユのモデルは忠恵王。その父王はドラマ序盤に出ていた忠粛王、その父王は忠宣王です。

この忠宣王も元の宮殿で暮らしました。その間にある兄弟と親しくなります。それが、元朝7代皇帝ハイシャン(武宗)と8代皇帝アユルバルワダ(仁宗)。皇位争いが起こると忠宣王は彼らを支持し、その功績で「瀋陽王」に封ぜられます。その後、忠宣王は父の後を継いで高麗王に即位しました。瀋陽王と高麗王、二つの位を一人の人物が持っていたことになります。忠宣王は本国に帰らず、元に住み続け、そのうち瀋陽王から瀋王へと昇格までしたそうです。

ここまではよかったのですが、高麗に戻りたくない忠宣王は、息子の忠粛王に高麗王の座を譲り、寵愛する甥のワン・ゴに高麗の世子の座を譲っちゃました。しかし忠粛王としては自分の息子である忠恵王(「奇皇后」ではワン・ユ)に王位を継がせたいわけで、後にワン・ゴから世子の座を奪います。一方の忠宣王はワン・ゴに瀋陽王の座を譲りました。まとめると以下の系図のような経緯のようです。

瀋陽王系図

そんな経緯もあり、ワン・ゴは高麗王の座も狙い続けていたようです。元の側も、高麗王をけん制するために瀋陽王を利用したそうです。もちろん、高麗王と対立する一派も瀋陽王を支持したと推測されます。なお、ワン・ゴの亡き後は、高麗王が瀋陽王を兼任するようになったものの、ワン・ゴの孫が瀋陽王の座を取り戻しました。

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2015年1月16日 | 奇皇后雑談
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